‘どうして?’という追求

‘どうして?’という追求

先日、あるお子さんの作文の英訳をして考えさせられることがありました。こんな一文がありました。「家のない人や家が古い人のために、明るい赤や黄色、黄緑、水色の元気になってくるような家を作って、国を明るくします」 実際に自分が翻訳をしてみないとなかなかピンとこない方が多いと思いますが、実はこのお子さんの作文は非常に英訳がしやすい!内容の難易度ではなく、‘どうして?’という掘り下げがしっかりとしている文章だからです。「家のない人や家が古い人のために家を建てる」ぐらいは誰でも書けます。でも‘どうして’家を建てるのか?「人を元気にしてあげたい、国を明るくしたい、そのためには明るい色の家が良い、たとえばこんな色」というように物事を追及した過程がはっきりとしている文章なのです。英訳の難しさの一つに‘何を言いたいのか’ということが書かれていないため、その人の意図を取らなければいけないということがありますが、このお子さんの作文の英訳にはその必要がほとんどありませんでした。

日本ではこの‘どうして?’という掘り下げをすることが、教育の現場でも社会においても、まだまだ弱いように感じます。ある日本の作曲家が作曲方法のひとつとして、この‘どうして?’を使っているという話を聞いたことがあります。追求すると見えてくる世界があるし、広がりもあります。この面白みをイギリス留学を通して学んでいる留学生はたいへんでありながらも、その力の大切さを身につけ、きっと今もそして将来も役立てていくのだと感じます。

実は、今回例に出した作文を書いたのは、まだ留学前の小6のお子さんです。この‘どうして?’を日本でも出きる子がいることに感動するとともに、このお子さんがこれからの留学生活でどう変わっていくのか期待せざるをえません。

長谷 明子

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