イギリス由来のスポーツ Part 2

イギリス由来のスポーツ Part 2

イギリスで生まれたサッカーがここまで世界中に広まったのは、比較的ルールが理解しやすいこと、用具はボールひとつあれば大人数で楽しめること、技術があれば体格的な向き不向きが比較的ないこと、点が取りにくいため熱狂しやすいこと、縦の組織がしっかり確立されているから、など様々な理由があるようですが、どういった過程で生まれ普及していったのか。それにはパブリック・スクールの生徒たちが大きく関わっていたようです。

イギリスにおいてのサッカーの起源は、中世の時代より、復活祭の40日前のShrove Tuesdayに 行われてきたボールゲームだと伝えられています。正確な起源は定かでないものの、有力なものとして、処刑後の生首が群衆に投げ込まれ、それを蹴り合った事象が受け継がれて、その後街のあっちとこっちのチームに分かれ、お互いの陣地にあるゴールにボールを入れるゲームに進化したといわれています。乱闘かと思われる激しいゲームは何百人単位で行われたため、死者が出ることも珍しくなかったようです。今でも年に一度、ダービーシャー州、ウォーリックシャー州やドーセット州などでShrovetide Footballと呼ばれ、死者を出さずに楽しまれています。

この年に一度の風習が国内全土に広がり、各地コミュニティの間で日々のアクティビティとして行われていたのですが、産業革命が起こりヒトの流動性が高まると地域社会が崩れ、一時期忘れ去られていました。しかし、唯一生き残っていた場所があり、ここでパブリック・スクールが登場します。その当時、上級生による下級生のいじめが多発し、あふれるエネルギーのやり場として、心身の鍛練のためにサッカーやラグビー等のチームスポーツが推奨されたのですが、各学校のルールは多種多様でした。寮同士の対抗戦を通して各学校のルールが定まっていき、そのうち他校との試合が盛んになりルールの統廃合によって共有そして制度化されていきます。

その当時パブリック・スクール卒業生の殆どがオックスブリッジに進学したため、学友となった彼らによって統一ルール「ケンブリッジ・ルール」がまとまり、これを基にして1863年にFootball Association(イングランドサッカー協会)が立ち上がりました。このルールを持ち、大学卒業後、世界中の植民地に赴いた彼らは、現地の名士や同郷との交流にサッカーを用い、その魅力を多くの人間に伝えたことが、今のサッカーの爆発的な人気につながったのです。

 

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