先生も転職

先生も転職

ひと昔前は耳にすることが稀だった「転職」という言葉。今では、「これは初めての転職ですね」と言うくらい日本でも言わば当たり前になっています。メディアでも「転職」を応援する企業の宣伝を毎日のように見ます。そうすると、「転職」は当たり前なのだという認識が知らず知らずに人々の意識の中に出来上がってくる。なるほどこうやって社会が変わっていくのだとつくづく感心します。しかし日本では自分に合わないから、嫌なことがあったから・・と「隣の青い芝生」を見つけるために転職をするといった、欧米の「転職」理由と少し違う動機で動く人が多いような気がします。

私の留学時代、日本では就職と言えば終身雇用が当たり前だった頃、ロンドンの街角で「Manpower」という看板を見て、どんなことをする会社なのかと不思議に思ったことを思い出します。イギリスの「転職」の歴史は長く、ある意味、人は転職によってキャリアを築いていくことが自然の在り方だという考えです。そもそもイギリスの教育自体が学年が上がるにつれ、専門性が高くなり、大学でも一般教養期間はなく、さらに専門の分野を学ぶという体系を取っています。その先にあるのは、社会においてその専門性を生かし、さらに力をつけるというステップアップです。この過程には転職は不可欠になっていきます。例えば、もし途中で方向を変えたいときはいつでも大学で学び直しもでき、そうやって新たな自分の道を作っていくことも出来ます。ここでの基本は「転職」はあくまでもステップアップの延長線上にあるということ。学校の世界でもまったく同様で、優秀な学校の校長の経歴を見ると、その人が辿ってきたステップアップの経過が分かり、その先生の可能性を知ることが出来ます。先生方の学校間の移動は頻繁なので、入学前に面接した先生が入学時には在籍していないということが例外なく起こります。そのため、渡邊オフィスは絶えず先生方の動向に注視し、それによる学校の変化をつかみ取ろうとしていますが、なかなか骨の折れる作業であると言わざるを得ません。

実はイギリス留学のコンサルタントを始めるにあたってイギリスのパートナーとして選んだ会社は留学生のお世話をする部門と同時に私立学校の先生を斡旋する業務も行っていました。世界各国に点在するインターナショナルスクールはもちろんのことイギリス国内の私立学校の先生の転職も大きな市場です。日本ではまだまだ教育は神聖な領域という概念から、先生を対象とした一般社会のような「転職」市場が開けていないようですが、これから変わっていくかもしれませんね。

渡邊