旅立ちの春

旅立ちの春

先日友人の結婚式に行ってきました。彼女とは留学時代にイギリスで知り合って以来すでに10年以上の付き合い。お相手に選んだのはイギリス人でした。都内の式場で60名程の披露宴が行われましたが、なんとその中に12カ国もの国籍の人達がいたことが後でわかりました。また新郎はインド系イギリス人だったこともあり、最後は夫婦共にインドの民族衣装で現れ、一瞬自分がどこの国にいるのかわからない錯覚を覚えました。

インターナショナルなお式だったとはいえ、式の進行及びスピーチにはすべて日本語の翻訳がつきました。新郎の親友のスピーチは、最初に新郎と場末のパブで知り合い、お互い怪しい印象を持ったところからのスタートというユーモアたっぷりのもので、加えて彼の使う語彙やアクセントからはおそらくパブリックスクール出身なのでは?などと想像を膨らませながら楽しく聞く事ができました。しかしその後続いた日本語訳は、残念ながら彼がアドリブで入れたジョークやニュアンスは全く含まれておらずとても単調なものでした。スピーカーがオーディエンスを笑わせようと考えて来た一言や、新郎に本当に伝えたかったメッセージを生の言語でわかるということはなんてラッキーなんだろうとつくづく考えていたところ、隣の席に座っていた同時期に留学していた友人も全く同じ事を考えていた事に驚かされました。

留学のメリットはたくさんありますが、私自身はこんなふとした瞬間、特に本当の意味での「コミュニケーション力」を自分が持っていることを感じられたときに一番の達成感を覚えます。3月末を迎え、今年度も新留学生が語学学校へと旅立って行きます。「英語はいつしゃべれるようになるんだろう?」という自問自答の毎日がやがて1週間、1ヶ月の頻度となり、来年の今頃は「いつしゃべれるようになったんだろう?」に変わっているはずです。そんな彼らが数年後(又は数十年後!?)、それぞれが毎日の生活の中で、ふと「留学していてよかった!」という瞬間に必ず出会えることを今から確信しています。

 

鐵屋