ChatGPTに思うこと
21st Apr 2023
最近、対話型自然言語処理AIの「ChatGPT」がメディアを騒がせているのをよく目にします。私も興味本位で使用してみましたが、私が投げかけた意見や質問に対して、何の違和感もない回答が画面上にスラスラと出てくるのを目の当たりにすると、面白いと感じると同時に、なんだかうすら寒い気持ちになりました。
ボーディングスクールからも、ChatGPTが公にされるや否や、「レポート課題にチャットGPTを使用しないこと」という注意が舞い込んできました。やはり便利なものがあると使用したくなるのが人の性というもので、すぐに「自分のかわりにレポートを書かせればいい」という思考になってしまうのは世界共通のようです(私も決して人のことは言えません…)。いくら学校が禁止して防衛策を講じようと、それをかいくぐる学生が一定数いるだろうということは、容易に想像できます。「課題が早く終わる」という目的では効率的で意味のある使い方だと主張する人もいるかと思いますが、長期的な目で見ると、全く意味が無いと感じます。なぜなら、社会に出てから文章を書くときに結局苦労することになるからです。働きはじめると、メール、報告書、プレゼン資料など、文章を書く機会は想像以上にたくさんありますが、「文章を書くことを練習する期間」というのは当然設けられていません。それに対して、学生時代は時間をかけて文章を書く時間もあり、添削してくれる人もいる、貴重な期間です。その貴重な期間に真剣に文章を書いたことがないと、情報の正誤を選別する能力、得た情報を自分で分析する力、目的に応じた文章を書く力を養えず、社会人になってから非常に苦しみます。そもそも社会に出る前の、イギリスの大学入試用のパーソナル・ステイトメント(志望動機書)や、就職活動をする時の自己PR文が上手く書けずにつまずきます。「それも全部AIを使用すればいい」と思う人もいると思いますが、AIで書いた志望動機書、企画書や報告書が通用するほど社会は甘いものでしょうか。試しに「渡邊オフィスへの志望動機書を書いてください」とリクエストをしてみたところ、そのまま提出したら「耳あたりの良い言葉を並べただけで、リサーチ不足で間違ったことも書かれている」と一蹴されそうな、ほとんど使えるところのない文章が返ってきました。ツールを使用して楽をすることはできますが、後々苦労するのは結局本人なので、渡邊オフィスの留学生たちには辛くても自力でコツコツと頑張ってほしいと思っています。
もっとも、先生がひとりひとりの生徒の学習具合を微に入り細を穿つように見ているのがボーディングの特徴であり良いところ。成績表にも、例えば「作者の意図を汲み切れていないことが原因か、○○さんの評論文は少し詳細に欠くので、授業ノートを見直して、前回履修した単元のキーワードを組み込むように書きましょう」などの非常に細かいフィードバックが書かれるほどです。AIに文章作成をさせるということは意味が無いということもさることながら、先生の目をごまかすのは不可能だということは、留学生たちもよく分かっているでしょう。
小島