読書と名作文学
19th Jan 2018
先日、旅行先で訪れた観光案内所でたまたま開催されていた与謝野晶子展を見てきました。与謝野晶子と言えば代表作「みだれ髪」や「君死にたまふことなかれ」が日本の国語教科書で取り上げられている女流歌人。この展覧会で「みだれ髪」の歌をいくつか読みましたが、改めて見ると授業で取り上げるにはなかなか“大人な”内容ですね。しかし私が日本の中学生だった当時の授業では、作家名と作品名を暗記するばかりで内容に深く触れず“情熱的な歌風”とだけ説明されたと記憶しています。男子生徒達もふざけて作品を揶揄する事はなかったので、ほぼ全員がどのように“情熱的”かを理解していなかったのではないでしょうか。内容が教科書に載る文学作品もありましたが、代表的な一節を抜粋したものが多く、「作品を読んだ」と感じる事はあまりなかったと思います。
イギリスの英文学(English Literature)の授業でも名作文学を取り上げますが、日本と違い小説なら丸ごと一冊を勉強します。そのため教科書ではなくその小説を全員一冊ずつ配布され(または各自購入)、数か月かけてじっくりとその作品に取り組みます。本を読むこと自体は宿題でこなし、授業では内容についての議論、時代背景の学習や派生作品の鑑賞等を行いました。ドロドロした情念にあふれる「嵐が丘」を取り上げた時は「みだれ髪」の学び方とは違い、何がどう“情熱的”なのかしっかりと説明、議論していました。昔の事なのでかなり忘れていますが、今でもあらすじや印象的なシーンは思い出せるので、自分の認識ではちゃんと読んだ本に含まれています。一方日本の国語授業で取り上げただけの作品は読んだ本とは言い難いと感じます。本の内容が分かっていれば、大人になってから会話の中でふと文学の話題が出ても参加できますし、小説の細かい描写から学べる文化や歴史もあり、これは日英共通だと思います。更に読破したこと自体が達成感と自信にもなります。日本にもせっかく数多くの名作文学が存在するので、もっと深く内容を理解し、記憶にも残るように授業で扱わなければもったいないですね!
長須