“アーティスト”が生まれる環境
30th May 2025
先日、ある美術の展覧会に足を運びました。大学時代、毎日その前を通った懐かしい美術館です。連れの友人は展覧会に行く機会など滅多にないと言うので、理由を聞くと、興味はあるが「見てもわからないから」だとのこと。言われてみれば、周りにも同じ理由で美術鑑賞にまるで縁がないという人が多いように思います。そういう輩に配慮してか、今回の展覧会ではいくつかの展示作品の脇に鑑賞のヒントが一言添えられていて、わかりやすいと好評だったようなのですが・・・。
でも、そもそも「わかる」って何でしょう?作者の制作意図を汲めること?その作品の時代背景や作風を知っていること?いやいや、なぜそれを描いたのかは、作者本人にしかわからないですし、作品をどう解釈してどの部分に注目するかは、100%見た人の自由のはずです。つまり、美術鑑賞に「わかる・わからない」は存在せず、正解を探そうとするのもナンセンス。そういう意味では今回の展覧会でヒントを手掛かりに鑑賞した人は、何かを感じる前に一つの“正解”へ導かれ、「わかる」体験をしてしまった、ということにならないでしょうか?
イギリスで教科としての美術の人気が高いのは、この「正解がない」大原則が一貫しているからです。美術館訪問の機会も多く、そこでは生徒達からバラバラの感想が飛び出すのが当たり前。授業で何かを描いたり作ったりする時はあくまで自分がやってみたいこと、感じたことを好きなように好きな材料を使って表現します。先生は何も否定せず、溢れ出る意見や発想をただただ面白がってくれる。だから「楽しい」!
そういうイギリスの美術教育を受けてきたプレップ生のうち二名が、今年進学先ボーディングスクールのアートスカラシップ(美術奨学生)試験に見事に合格しました。ポートフォリオ(作品集)と面接が審査の中心となる試験では、いかに美術を楽しみ、独自の発想を展開していく力があるかが問われます。イギリスの正解のない学びから、彼らがその力を蓄えたことは間違いありません。
山岸